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産官学連携・地域連携

 

誰かに書く。
自分に向かう。

吉川

学生によく言うんです。「手のひらを見い」って。手のひら見たら、手の甲は見えへんよね。手の甲みたら、手のひら見えへんよね。必ず片方の面で相手と対峙しているってよく言うんです。この方に好かれたいのであれば、こちらの面に重点をおき、好かれたくないのであれば、こちらの面に重点をおく。人間両面あるけれど、手の平(甲)の何れかしか相手に見せないのは、相手に対する感情でもってどちらかを選択して見せていると思っています。その感情も、相手に対してのバイアス(肯定的あるいは否定的)が影響します((かみしも)を着てしまう)ので、人として相手に対して自分のこころに素直に関わることが出来ないことになると考えています。人間関係って基本的に確率的にいうと、二人に一人には好かれている、二人に一人には嫌われていて。自分のこころに素直にいって、人に好かれた方が良いんじゃないかと思うんです。

相手の方に、全部合わせてくると、好かれているようやけど、何かあったとき、びゃーっと蜘蛛の子を散らすように散っていってしまう。できるだけ自分のこころに素直にしたら良いよ、って言うんですけど。なかなかそうはいかないですよね。

あさの

でも、大人でもできないことですよね。

大人も、自分のことをある程度認めてくれると思える人とか肯定ばかりしてくれる人とか、やっぱり、そういう人とつき合いたいっていうのがあるじゃないですか。 

だから、まあ、特に今の若い方は傷つくことが凄く恐ろしいっていうことを多分知ってらっしゃるので、いかにして自分が傷つかないようにするかって。さっき、それを‘(かみしも)’とおっしゃいましたけど、‘裃’を着ていると、ある程度防げるわけです。やっぱり、素っ裸で人の前に立つのは中々できないっていうところは、あるんじゃないかなとは思うんです。ただ、裃を着るのは悪いことではないと思うんです。ある程度自分を晒すっていう経験がないと晒し方がわからなくなってしまう。着込めば着込むほど、かえって息苦しくなってくるのと一緒で、裃の上に甲冑を着て、その上にまたオーバー着てみたいになっちゃうと本当に息ができなくなるっていうことは確かにあると思うんです。

今回の手紙もそうなんですが、誰かに向かって書くっていうことは、自分に向かって書くってということでもあると思うんです。

亡くなったお父さんを自分がこんな風に思っていたとか、大好きなお姉ちゃんのことをこんなにも疎んじる自分がいたとか。自分が自分に隠していたことも‘観る’ことだと思うんです。

書くことは、‘小さな穴をあける’ということかなって思っていて。見たくなかった側も見えてしまう。

もちろん、音楽や演劇、あるいは、何かこう研究することもそうなのかもしれないです。プロになるならないじゃなくて、物語であっても、手紙であっても、詩であっても、ノンフィクションであっても、なんでもいいんです。どこか小さな穴をあけていく作業っていうのはとっても大事なような気がします。

吉川

 (作業は) たくさんあったほうがいいでしょうね。

あさの

はい。

吉川

そういう風な穴をあける。例えば、ハロウィンでいろんな衣装を着ていることによって自分自身の別の普段見せない部分を表現することだったりするんですね。ハロウィンという機会を与えるから、それができる。機会があれば、色んな事ができるんだろうと思うし、自分自身の別の部分や本質の部分を垣間見ることができるんじゃないかな。

あさの

私は自分を発見するために何かやってみようっていうのは、チャンスがあれば、それがとっかかりになる。何もないところでは、なかなか発想として立ち上がってはこない。‘手紙なら書けるかな’とか、‘3枚の作文なら書けるかな’。やっぱり色んな形を変えて、チャンスを目の前に置いておくっていう事がとても大事なことだと思います。

ページング

最終更新日:2017年11月13日