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産官学連携・地域連携

 

人は、凸凹してるもの。
大人が、‘認める力’を鍛える。

吉川

あさの先生は、小さいころから、書くことが好きだったんですか。

あさの

そうですね。書くことだけしか好きなことがなかった。勉強も嫌いでしたし、運動神経もあんまり良くなかった。でも、唯一、書くことだけが好きだった。

マルチ人間っているでしょ。結構、教室に1人や2人はいますよね。勉強もできるし、運動神経もいいし、格好いいしみたいな人が。羨ましいし、妬ましいし、私は何にもできないなって。

コンプレックスはあったんです。ただ、好きなものがひとつしかない、っていうことは、かえって良かったなと。色んな選択肢があるわけじゃないので、凄く一生懸命になるじゃないですか。そういう意味では、何かがたくさんあるのも素敵だけど、少ないのも良いなって思えるようになりました。

吉川

たとえば、‘タレント’って、‘才能’ですよね。ひとつの才能でもって、それで飯を食べられる。ひとつのタレントを活かすことが出来れば、それで十分なんだろうと思うんですよね。

基本的に人間って、存在するだけで価値があるんですが、それにひとつタレントがあるだけでも十分だと思うんですけど・・。

僕からすれば、小さいころから書くのが全く嫌い。手紙書くの嫌い、日記書くの嫌い、文章書くの嫌い、もう、そういう意味では運動するしか能がない人間だった。運動だけやってたので、運動だけはプライドがあったんです。もう他はまるっきりダメで、ある意味、先生と真逆なんですけど。でも、周りの人間はそれを許してくれたんで、救われたんですね。『あいつ勉強できんけど、運動できるやん』みたいな・・。自分としては、自分の存在価値を持つことが出来たんですね。それを認めることができるような。

マルチで色んなことができるとか、平均のこと色んなことが出来ないといかんではなくて、本当に突出した部分で特徴を持って、それを認めていくっていう社会がこれからできあがっていかないといけないと思います。

あさの

そうですね。そうしないと多分息詰まってくるだろうなっていうのは、やっぱりすごくあって・・。

均一の人が100人いるよりも、やっぱり凸凹した人がいる方が、広げた面積が広くなる。そういうことをやっぱり大人が認識していくこと。本来、人って凸凹しているもの。でも、何かを生み出さないと(認めない)。本とか、形として残すとか、お金をたくさん儲けるとか、才能として誰もが認めるとか何かがないと認めようとはしないですけど、もうちょっと‘認める力’を鍛える。例えば、あの人に手を握られるだけでなんかすごく心穏やかになるとか、泣いている子どもがにこにこするとか。あると思うんです。本当に個人個人の細かな才能っていうのが。そこをどうやって私たちが認識して、認めて、価値を生み出していけるか。これからは、こちらが、問われる時代なんじゃないかと思います。

教育現場っていうのは、そういう意味で個っていうものをどのくらい掘り起こしていけるかっていうのがありますよね。自分でさえも気づいてないことってあるじゃないですか。

勉強できたり、スポーツができたりすると認められやすいですけど、でも何か一緒にいて楽しいだとか、すごく優しいとか、そういうことって評価の対象にはならないし、自分自身もそれが生きる糧というとおかしいんですけど、支えになるって思えない。自分を肯定できない。

そこらへんをどう知らせていけるか、あるいはちゃんと見出していけるかっていうのは、これからの幼稚園から大学、すべての教育現場において、大切かなと思います。

吉川

僕は、前に病院に勤務していたころがあって、ターミナルケアをやっていたんです。がんの末期の患者さんに、医師でも看護師でもない人間が何ができるんやろうってことで結構悩まされたんですね。余命的には半月だとかいうレベルの患者さんのところに行くんです。行っても、何もできへん。言葉をかけようがないんですよね。かけようがないんで、もじもじするじゃないですか、ほんなら、「先生、足が外を向いてる」って言うんです。気持ちが病室から外に向かっているって言うんです。「そこにおるだけでいいのよ」って言ってくれたんです。「私このまま一人でいてもさみしいし、いつ死ぬかわからへん状況やから。誰かが傍に居てくれるだけでいい」って。何もできへんって、もじもじするんじゃなくて、そこにおるだけでいいから、もうちょっとだけおってって。何もできないけど、そこにいるだけで支えになる人が居てるんやって知って。ある意味そこで、救われましたね。

学生とか高校生も中学生も一緒ですけど、点数で評価されてしまう。何かが出来る、出来ないということでもって評価される。

そもそも、その人が持っているものをちゃんと周りが認めてあげることができれば、場合によっては、違った部分で色んな価値を発揮することができるんじゃないかと思うんです。

協力者であれ、それを受けとめることができるような大人になっていかないといかんやろうな、教育者でないといかんやろうな、と思います。

あさの

タレントっておっしゃいましたけど、何かができることが才能ではなく、人としての才能っていうとおかしいですけど、そういうものってやっぱり見つけていきたいな。

わたしは、母をこの春、亡くしたんですけれど、緩和病棟に入ったときにボランティアの方が来てくださった。何もするわけじゃないんですけど、鶴を折ったりとか、傍で座ったりしてくださっただけで。人を支えるには、こういうことをしなきゃいけないとか、何かこの人のためにしてあげないといけないとか考えちゃうんです。実は、そうではなくて、人間として、そこにいるっていうことが凄く大事なことなんだなっていうことが、母の最期を看取ってすごく思いました。

今日の手紙なんかにも、ずいぶん自分の周りの人に感謝している手紙っていうのが多かったんです。でも、周りが、手紙を書いた人たちによって、随分助けられているんだな、救われているんだな、支えられているんだなと感じてしまう手紙がいっぱいありました。やっぱり人としての才能、底力みたいなのは、感じましたね。

ページング

最終更新日:2017年11月13日