1. 受験生の方
  2. 在学生の方
  3. 卒業生の方
  4. 保護者の方
  5. 採用担当の方
  6. 教職員募集
資料請求 大学見学

産官学連携・地域連携

 

自分にあったペルソナを
必要な部分だけつけていく。

吉川

SNSやライン、ツイッターでやりとりする中で、見てくれたとか、見てくれへんかったとかありますよね。反感をかったり、落ち込んだりしますよね。

コミュニケーションっていうのは、対面でやることもコミュニケーションをとる上で非常に重要やと思うんですけど、文字だけでコミュニケーションを取ってしまうんで、このようなことが起こってしまうのかなと思うんです。

表情や手振り、身振りなど、すべてを汲んでのコミュニケーションというのを中学生や高校生の中で醸成していく必要があるんだろうなと。どうしても子どもがツールを使って、コミュニケーション、人とのつながりを持つことが多くなっちゃっているんですよね。(評価に一喜一憂するSNSの世界は)将来的にかなり自己の存在を他人に左右されてしまうんじゃないかなと思うんです。

あさの

本当にね。ちょっと話題にもなった、"いいね"を売るとか。人に認められるっていうことが逆転してしまっている。

自分を認められるためには、絶対に人に認められなければいけないんだということになってしまっている。

あまりにもSNSっていうのが急激に発展してきたので、それにやっぱり人がついていけていないっていう、気はすごくするんですけど。ただ、私は、SNSはSNSで良いと思うんですよ。ああいう人との接し方とかコミュニケーションのあり方もあるっていうのも、これからの時代、それを否定することはできなくって。ただ、平行して、それとは別にやっぱりもっと違う取り方もあるんだよっていう。短い言葉を交わすことだけではなくて、ちょっと触れた手のぬくもりであるとか、相手の笑顔であるとか、吐息であるとかっていうことを含めて、生身で付き合うコミュニケーションもあるっていうことを知っていないと。

吉川

私たちはパーソナリティっていうのを持っています。持って生まれた轍の中で、ペルソナを身に着けてくわけですね。

先生が仰ったように、自分の素っ裸がわからなくて、重たい鎧をつけてしまって動きがとれない、自分の殻に合わない。奇抜な鎧をつけても動きがとれない。自分自身が、どんなペルソナを付け、仮面を付けているのかっていうことを早く知ることが大事。それを把握して、自分自身を素直に見ることが大事であると思うんですね。

そういう意味では、自分を評価をするために人と関わるんじゃなくて、まず人が自分をどう見ているかと併せて、自分は自分がどうなってんねやっていうことをちゃんと観るためのツールにしてほしいんですね。

評価をされたから、その評価を基に自分自身の価値を変えてしまうんじゃなくて、(他者は)こない言うとるけど、本当にこれはそうなんかっていうこと。立ちどまって、自分にあったペルソナを着けていくことが、大事。

中学生や高校生は、独り立ちの時期。今までは仕方なしに色んなペルソナを付けてきたけど、これからは自分にあったペルソナを必要な部分だけつけていくっていう作業に入っていかないといけないと思うんです。

そういう意味で、手紙っていうのは、手紙を書くという作業によって、自分自身を客観的に見ることができるかなと思います。

創作するとか、装飾するとかということがおこるかもしれないですけど、結果的に文字を文面に落とすだけで、やっぱり、自分自身を素直に観ることができるんじゃないかな。それがすごく大事なことだと思います。

(手紙を)書いてもらうっていうのは、すごく大きな機会で、それにつながってくるかなと思ったりはしてるんですね。

あさの

そうですね。本当に仰るとおり。手紙って、やっぱり自分と会話していること。文章って、ほぼ、そうなんですけど、自分と大勢とかではなくて、自分と自分っていう、結構、1対1の関係で、書いている時はあるんです。誰に対して書いていたとしても、お姉ちゃんとかお父さんとか、お母さんと会話しているんじゃなくて、そこを通した自分と会話をしているっていうことだと思うんですよね。

人ってやっぱり、他者からみた自分、あるいは自分からみた自分、あるいは他者に伝えたい自分、その3つがあると思うんです。

自分から見た自分っていうのを深める機会は、だんだんなくなっているっていう。

ちょっと高校生の相談っていうのをやっていたときに、ある高校生から"僕は考えてることがすごい好きです。なんで人は死ぬんだろうとか、これから自分たちはどうなるんだろうとかっていうことを、ある意味、哲学的な類なんですけど、それをどうしてもぼんやりと考えてしまう。考えても考えても答えはでないし、時間も過ぎていくし、自分はすごく無駄なことをしているんでしょうか"みたいなのをもらったんです。

自分と対話していくこと、自分に向けて何かを書いていくこと、それを無駄だと思わされないような。それって、人にとって必要な作業じゃないですか。それをどんどん削られていくっていうのは、つらいなって本当思いますね。

吉川

コンテストにしてしまうべきかということになるんですが、高校生、中学生が作文を書くとか、すべて評価につながってしまいますから。

そうなると読んでもらった側にとっても、評価の高い書き方せんといかんとか、これを書いてしまうとまずいんじゃないかというように、本当に切り貼りをしてしまう形になってしまうかなと思うんですね。

結果的に自分の書いたことが一体何なんやってことがわからなくなってしまったまま作品として出してしまうことがあるのかもしれません。

例えば、今、卒業論文の指導をしているんですけど、卒業論文を読み手の側がわかるように書けって言うんです。読み手側としてストーリーとして、流してくれなかったら、なんでこれが出てきたのかわからない。ストーリーのように、卒業論文書いてって言うんです。多くの学生はそれに沿って書いてくれるんですけど、じゃあ、これの意味を教えてって言った時に本人、わからないんです。

読み手のことしか考えなくて。読み手がわかるように書きゃいいだろうって書いてしまって。自分が理解できなくても、そのとおり、それに沿った書き方していればいい。自分の中で咀嚼せずに、相手に向けて発信しているんです。それは、マズイやろう。

先ず、自分自身がわかるような形にしておいて、それを相手がわかるように工夫していくことがすごく大事なんですよね。

相手ばかりに目線をおいてしまって、やっていこうとすると、自分自身を見失ってしまう、やろうな。仮に自分の書きたいことと違うことを書いてしまってしまうと、これでええのってことになっちゃうんですね。せめて、小学校、中学校、高校のころから、自分の思いを素直に記す何かができるような練習をこれからも続けていってほしいなと思います。

あさの

そうですね。本当に小学生なら小学生なりに、中学生なら中学生なりに、そこで、自分に対して書いていくっていう、あるいはそれを他者にわかるように伝えていく。これは技術とかの問題にもなってくると思うんですけど、やっぱり、教育、あるいは書くことの根本、自分っていうものを見失わないようにしていかないと根なし草になってしまうじゃないですか。

根無し草になるとどうなるかっていうと、流されやすくなってしまう。世の中の流行りであるとか、生き方にしてもなんにしても。ダラーッと流されてしまって、気が付いたら、自分が思ってもいないところでプカプカと浮いてたみたいになってしまう。やっぱり、根っこの部分っていうのをどういう風に育てるか。

吉川

自分自身、認めていくだとか、素直になるとか、周りがそれを許していかないと、うまく受け入れることができないと、なかなか子どもたちもできへんやろうなと思います。(ボールペンを指して)「これ何に見える」って学生に聞くんですけど、「ボールペンやん」って言う。

これ、ボールペンに見えるのは、ボールペンって知っているからボールペンって言えるんやろ。場合によっては、カメラかもしれないし、録音機かもしれんけど。なんでペンだけしか答え出えへんのって言うんですけどね。

これがボールペンに見えるかもしれんけど、録音機やっていうのもありやし、カメラやっていうこともありやし。

やはり、周りが受け入れることができなかったら、間違いやっていうことになっちゃうんですよね。そういう意味では、そういうことを許していく土壌っていうのを改めて育てていかないと、自分たちが自分自身の主張をすることができないし、枠に沿った形でしか自分の思いを出すことができへん状況になってしまうんかなと思いますね。

あさの そうですね。教育現場、家庭もそうなんですけど、言葉としてできる場っていうのが息苦しくなってしまうと、枠がどんどん強固になってしまう。そうなると、そこからは中々生まれてこないし、国というか、世界の未来にとっても何かすごく勿体ないような、やっぱり気はしますからね。

吉川

こどもたちの可能性っていうのはある意味無限。なので、それを発揮することができるような、やっぱり社会を作っていかんといかんのかなと思いますね。

あさの

なるべく弱く広くして。全くないっていうのはありえないことだとは思うんですけれど、その中でやっぱり、教育に関わっていく人たちが、やっぱり寛容になっていかないと。

もちろん、文部科学省とか、お役所の方も含めてですけど。全部含めて、人間ってわけがわからないものじゃないですか、本当にわけがわからない、しかも、何かドロドロした醜いものもあれば、そこの醜いもののうえに咲く花も、きれいな花もある。本当にわけがわからないのに、やっぱり、こういうものだよっていう風に決めつけられてしまうと、もうそれ以上、進めなくなるのです。難しいことですけど。

ページング

最終更新日:2017年11月13日