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第1回2012.8.6更新

今も続くハンセン病療養所への往来事始

ハンセン病療養所は全国に15か所あり、入所者の平均年齢は既に81歳を超えています。ハンセン病療養所は稀にみる超高齢社会といえます。
岡山県の瀬戸内市に長島という小さな島があります。私が初めてその島に足を運んだのは1972年、大学1年の夏休みでした。もう、かれこれ40年も前のことになります。そこには2つのハンセン病療養所が、あたかも背中合わせのように並んで存在しています。

療養所入り口付近

その療養所で大学4年間、毎年の夏休みに2週間、官舎に宿泊させていただいて道づくり、いわゆる土方仕事をしていました。なぜ?島は土で出来ています。ハンセン病の患者さんは視覚障害を患っておられる方が多いため、療養所内外を歩くにも音が頼りになります。土ばかりの島は、患者さんたちにとってはどこを歩いていても、いつも同じ1つの音しか聞こえてきません。歩いて安全な道なのか、あるいは崖ぎわなのかの区別が全くつかないわけですね。つまり、下手をすると崖から転げ落ちることになります。

いったい、そんな危険なところがいっぱいの島の中に、しかも狭いながらも船で渡らなければならないようなところになぜ療養所を作ったのか、入所者の方の家に入ってはいけない、官舎に戻る時にはお風呂に入ってすべてを着替えて戻らなければいけないといった規制はなぜあるのかといった疑問をもちながら、ひたすら土方仕事に励んでいました。そんなに危険な人たちがいる療養所なのと思いましたが、3年目にもなると顔見知りとなる患者さんが出来ますので、夕方、隠れるようにしてその方のお家を訪ねて話してみると、患者さんたちはいたって普通の人なんですね。それが、療養所の職員はもちろん、ハンセン病患者は危険だから社会で生活させてはいけない、強制隔離すべきということが国の政策となり、法にも規定されるとなると、どうなるでしょうか?今までつながりのあった方でさえ手のひらを返したようにつながりを断とうとし、急いで「隔離」してもらうために保健所や警察に密告するということが行われるようになりました。

 非常に弱いライ菌にもかかわらず、感染した、発病したということだけで、社会で生活できないように強制的に隔離させてしまう訳ですから、その病気にかかった患者さんはもちろん、家族の方たちのこころの痛みや苦しみ、悲しみはどれほどでしょうか?
 自分の存在価値や生きる目的の喪失による苦しみ、痛みのことをスピリチュアル・ペインといいます。私は、このハンセン病にかかった方たちの苦難に満ちた人生の語りから、この方たちのスピリチュアルペインがどのようなものかについて、M-GTAという質的調査の手法を用いて研究を進めています。残り短い人生を、社会で生活することも出来ずに療養所生活を続けられる方たちのQOL(生命の質)を高めるケアの在り方を明らかにできたり、そのような痛みを抱えさせることになった国家政策や医療政策を検討し、同じ過ちを繰り返さないようにすることが、今を生きる私たちの役割であろうと思っています。

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吉川眞 教授

医療福祉学部 医療福祉学科長

関西学院大学に入学した時は保母志望でしたが、当時は男性の保母資格はありませんでした。同じゼミの女子学生たちと張り合っている内に、いつの間にかカウンセリングや臨床ケースワークのプロをめざすことになりました。一見不純そうで、すぐに頓挫してしまいそうな動機ですが、その後25年に渡って精神科病院と総合病院で勤め続けることができました。その間に出会った患者さんやご家族に恵まれ、育ててもらったお蔭だと思っています。常在初心がモットー。05’本学医療福祉学部着任。

ゼミ学生

ゼミの学生たち

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