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第2回2013.4.4更新

ハンセン病療養所入所者の方のお家訪問

根強く残るハンセン病への偏見差別

3月20日、2年生3名を連れて岡山にありますハンセン病療養所まで、そこに入所されています男性入所者の方のお家を訪ねました。

この入所者の方は代々の吉川ゼミ生と交流を持ってくださっている方で、この療養所での入所期間は通算(一度社会復帰されていました)で30年以上になられます。“広島にお金を落としてもらって、広島を潤さにゃあいかん”と言われては、この療養所の職員の方たちに広島のあちらこちらの名所を宣伝され、あたかも“観光大使”のような方です。もっとも、お体の加減もあるために、広島に出る機会もそうないわ“と言われ、いつも訪問するときには広島のフレッシュな情報が載っている情報誌をお土産にお届けするようにしています。

86歳という年齢を感じさせないくらいにお元気なかたですので、元気だけが取り柄と言っても過言ではないような吉川ゼミの学生たちも呑まれっぱなしでした。と言っても、病気の後遺症で両方の手指はすべて失われておりますし、重度ではありませんが足にも障害が残っておられます。

ところが、その“障害”のありようが、苛烈なほどの偏見差別を受けることになったことは、みなさんはご存知でしょうか?

実は、偏見差別にさらされてきたのは、ハンセン病患者だけではありません。その家族の方もさらされ続けてきました。それは、ハンセン病という病気が極めて感染力が強い病気であるという誤った理解を社会全体が持ったことに原因があります。困ったことに、1996年に“らい予防法”が廃止され、病気に対する正しい知識が普及した現在にあっても、偏見差別がなくなったわけではなく、未だに根強く残っています。

では、何故、そのような誤った理解を社会全体が持つに至ったのでしょうか?また、何故、人間はそれほど簡単に偏見差別感情を抱くに至ったのでしょうか?そして、何故、病気の正しい知識が普及した現代であっても偏見差別はなくならないのでしょうか?

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吉川 眞 教授

医療福祉学部 医療福祉学科

関西学院大学在学中に所属した献血推進サークルでの活動を通じ、医療機関での相談援助に関心を持つ。また、在学中に参加したハンセン病療養所の園内道路舗装ワークキャンプで初めてハンセン病入所者と触れ合い、以後訪問継続中。05年広島国際大学医療福祉学部着任。大阪市出身。

3月20日、岡山のハンセン病療養所にて

ハンセン病患者が抱えるスピリチュアルペイン

ハンセン病患者に対する社会の偏見差別は新旧の予防法を根拠としたハンセン病政策によって作出・助長されたことは、国賠訴訟熊本地裁判決文で明確に指摘されています。では一体、ハンセン病政策が社会の偏見差別の形成にどのような影響を与えたか、また、その結果、ハンセン病患者はどのようなスピリチュアルペインを抱えたのかという点について構造化を図ってみたことがあります。

ちなみに、スピリチュアルペインというのは、他者との関係が途絶え、消滅することによって伴う漠然とした不安が基盤となり、生じる「生きる意味・目的の喪失」を言います。

構造化の結果、次の3つのプロセスから成り立っていることが分かりました。

  1. a. らい医学界の後押しを受けて国策としてのハンセン病政策を展開するプロセス
  2. b. 予防法を通じて社会の偏見・差別を強化し,ハンセン病患者への強制隔離政策を徹底して実施するプロセス
  3. c. 患者の労働力によって療養所を運営しながら,療養所独特のル-ルを用いてその労働者を統制するプロセス

国の強制隔離政策による甚大な被害

様々な歴史を学ぶことができる長島愛生園の歴史館。学生と一緒に知識を深めました。


 

強制隔離政策は患者らに対する社会からの偏見・差別的言動を助長しました。ただ、強制隔離政策は必ずしも政府主導で行われたのではなく、らい医学界が医学的な側面から政策を強力にバックアップしたものでもあります。ハンセン病という病気とその患者に対して専門職集団である医学界が示す対応指針は、国に対しても社会に対しても非常に強い影響力を持つものですので、その影響を受け、官民が一体となってハンセン病患者のあぶりだしを行い、一般社会でそのまま生活をすることが出来ないように強制的に隔離する運動が展開され始めることになりました。

また、療養所においては、たとえば、一度入所すると、たとえそれが自主的な入所であったとしても退所することはできません。さらに、療養所を運営する上で患者の労働力は不可欠であったため、園内労働従事が強制されました。また、療養所内で園内結婚することについては、優生手術の実施を前提に認められ、妊娠した場合には強制的に堕胎手術が行われたのでした。それらのことを通じて、自分たちは“人間”として見なされていない存在であり、自分は言わば社会では無用の存在であるという意識が植え付けられることになったりました。もちろん、ハンセン病政策の実施は、患者本人だけでなく、家族・親族にも多大な被害を与えました。

しかし、政策はあくまで国益を基準に考えられ、ハンセン病患者を強制隔離することのみを目的として実施しています。つまり、“人と環境”の相互作用・交互作用、特に患者と家族との関係性を視野に入れていないため、政策実施に伴い、家族も“クライエント”の立場に置かれるということが全く考慮されていないことがわかります。

言い換えるならば、この構造にあって、ハンセン病患者は家族や友人、患者家族を取り巻く地域社会との相互作用、交互作用において“人間として認められない存在”というスピリチュアルペインを抱えることになりました。その真の原因は何かと言うと、二つ挙げることが出来ます。一つ目は、簡単に言うならば、諸外国に対して国が面子を保とうとしたことが原因です。つまり、わが国が諸外国から一等国として認識されるために“浮浪者対策”として“浮浪”状態にあったハンセン病患者に対して強制隔離を実施したこと。二つ目は、一人の医師が、その所属するらい医学界における自らの発言力の強化という個人欲を満たすためと同時に、そのことに連動した形で国に対するらい医学界の影響力の強化を目指したことが原因であるといえると思います。

今後も入所者の方と学生に交流の機会を

このように、ハンセン病患者は新旧のらい予防法に基づく政策を通じて“社会的烙印”“スティグマ”を押され、社会からの排除を受け、療養所に強制隔離されました。この差別・偏見の深さと強さは、ハンセン病患者として烙印を押された者に与えた心の傷の深さ、甚大さそのものであるのです。患者らが受けた苛酷なまでのスティグマは、「自分が死にさえすればもう家族に迷惑をかけることはない」という想いを抱かせ、患者らを家族から切り離すことになりました。

患者らは、家庭を、また住み慣れた地域社会を基盤とした生活から全く切り離されて生活することを求められ、死ぬまでその地で生活することを求められました。結婚や家系を紡ぐ環境を奪われ、地域社会において適切な治療を受けることが出来ない状況に置かれたのです。就学していた者は、突如、学校側より通学することを拒まれ、学業を断念させられてしまいました。仕事を持っていた多くの患者や回復者らは雇用関係を解消されたり、自らの判断で離職せざるを得ない状況に追い込まれました。

収容される際、持参したすべての所持品は取り上げられ、所持金は園に保管され、その一部は園内通貨と交換されました。本名ではなく園名をつけるように求められたことによる屈辱、終生療養所から出ることが出来ないことを裏付けるかのように死体解剖承諾書への署名押捺を求められました。全裸検査、収容服のような棒縞の服の着用、1週間に及ぶ過剰な消毒へと続く中で痛感する職員の横柄な態度、生活区域も患者地帯と職員地帯とに区別され、患者は職員地帯に入ることが許されないことを知ったことなどによる怒りや悲しみなどの心理的ショックは計り知れなかったと思います。

また、国の終生隔離の方針に伴う厳しい外出制限により、外出願いの理由は明らかであるにもかかわらず外出許可が下りないことも多く、無断外出により、監禁されたり謹慎を命じられたり、何らかの不利益を受けた患者も多くありました。

療養所の住環境の劣悪さ、各療養所における医師・看護師をはじめとする医療スタッフの絶対的不足も顕著でした。このような極端に足りない職員だけでは療養所運営に支障が生じるため、収容者の内の中・軽症者は、病状がどうであっても苦役とも言うべき作業が義務付けられたのです。しかも作業の対価は極めて低額でした。その患者作業は、収容者たちの障害を重くし、社会復帰の大きな妨げとなりました。このように、療養所は到底まともな医療施設といえる状況ではありませんでした。

加えて、絶滅政策をハンセン病患者の子孫にまで及ぼそうとしたのが、療養所内において子どもを産むことを禁止する優生施策、断種・堕胎の強制実施でした。断種は収容者に犬畜生と同じように扱われたという非常に大きな屈辱感を与えました。女性にとって人生における大いなる喜びであるはずの妊娠が、療養所では恥であり、屈辱であり、恐怖でした。

さらに、そのような療養所を抜け出して社会復帰しようとすることは、国などによる社会復帰支援策の不備のために居住場所や就業の機会を確保することも難しい状況に置かれるだけでなく、自らが療養所に在園していたことを家族にすら秘匿し続けることを強いられることを意味します。このような生活は、いかなる意味においても社会復帰ではありえません。まさに絶対隔離絶滅政策による被害を新たに受け続けることを意味したのです。

このように、ハンセン病者として社会からの偏見差別の対象となり、私たちには想像することができないほどの苦労・苦悩を味わってこられたにもかかわらず、学生たちに話されるその表情は非常に純粋で、それだけにその口から放たれる何気ない言葉一つひとつが学生一人ひとりの心に響くものがあるようです。裏を返せば、それだけ学生たちの心が純粋であって、目の前におられる入所者の方に対して何ら偏見も差別感情も持ち合わせていない証拠かもしれません。

既に療養所入所者の平均年齢が83歳近くにもなっています。今後、いつまで入所者の方たちとの交流の機会を持つことができるかわかりません。まずは、今夏に療養所で開かれる夏祭りの頃の再会を約束して、帰路につきました。
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