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<原爆の子の像>のモデル佐々木禎子さん クラスメートが思いを語る

2015年8月13日 掲載

7月29日、広島キャンパスで特別講演会『被爆70年を迎えて 幟町と佐々木禎子』を開催しました。
 
被爆70年の節目に、被爆地・広島で改めて平和について考えようと企画。今回、<原爆の子の像>のモデルになった佐々木禎子さんについて、小学校のクラスメートだった川野登美子さんから当時の思い出や<原爆の子の像>建立の経緯などを講演いただき、受講した約120人の学生・地域住民らが熱心に聴き入りました。
 

              禎子さんとの思い出を語る川野さん

 

佐々木禎子さんは“禎ちゃん”と呼ばれ、クラスメートから慕われる少女でした。そんな禎子さんが原爆病の疑いで、ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission・原爆傷害調査委員会)に連れて行かれたときの寂しそうな後ろ姿が今も脳裏に焼き付いている、と川野さんはその日のことを振り返ります。
原爆病と判明し、入院した病院の病室で禎子さんがいつも折っていたのが折鶴でした。病気が治ってまたみんなと一緒に学校で勉強したいと願いながら折り続け、病室は折鶴でいっぱいになったといいます。そんな折鶴に込めた願い、クラスメートの祈りは届かず、禎子さんは12歳の若さで永眠しました。クラスメートは、禎子さんをはじめ原爆で亡くなった子どもたちの供養をしたいと、慰霊碑の建立を決意。その思いに賛同し、全国から集まった寄付を基に<原爆の子の像>が建立されました。その手に天高く掲げられているのは、禎子さんが願いを込めて折り続けた折鶴です。
川野さんは、「自分たちが生きているという事実を大切に、平和な世の中を実現することが、禎ちゃんをはじめ原爆で亡くなった子どもたちにとって何よりの供養になる」と、受講者に向けて力強く語りかけました。

 

同キャンパス幟町ギャラリーでは8月21日まで、佐々木禎子さんの生涯や<原爆の子の像>建立の経緯などを辿ることができるポスターを展示しています(入館無料。日・祝を除く)。

 

 

広島国際大学 広報室