広島国際大学 専門職大学院

心理科学研究科 実践臨床心理学専攻

Interview

教授 松﨑 佳子 福祉領域、特に 子どもたちの社会的養護に取り組むプロフェッショナル。

現場で役に立つ臨床心理士が必要です。

大学で心理学を学んでのち、福岡市に入職。一貫して福祉畑を歩み、福岡市児童相談所の心理判定員や所長を長年務めたほか、市の職員研修所では後輩の指導にあたっていました。日本に介護保険制度が導入された2000年には、西区高齢保健福祉課長として市民に新制度を理解していただくために、小学校校区をひとつひとつ回って説明会をおこないました。実務の中で、痛感していたことは、次の4つの能力・スキルを備えた専門職が現場に必要だということでした。「まず、“社会のニーズが読める”こと。次に、“心理査定がちゃんとできる” こと。3つめは、得られた情報から“ 見立てができる”こと 。4つめは “支援ができる”人です」。50代の半ばに差し掛かったころ、思いがけず、母校、九州大学から要請が届きます。“現場で役に立つ臨床心理士を育ててほしい”と。

日本初の専門職大学院設置に参画。

日本初の臨床心理分野専門職大学院(九州大学人間環境学府実践臨床心理学専攻)の開講準備の打ち合わせをしていた2005年3月20日。福岡市は、マグニチュード7.0の西方沖地震に見舞われました。市の職員を退職し、10日後には、大学の教員としてスタートをすることが決まってはいたものの、すぐに相談センターの子どもたちの安否を確認。幸い、一時保護をしていた子どもたちは、地震発生時には散歩中で怖い思いをした子はいませんでした。しかし、松崎先生は、関係各所に動いて、その日の帰宅時間は午前2時だったとか。さらに、玄界島(福岡県、博多埠頭よりフェリーで約35分の距離)には避難勧告が出ていて、住民たちは島を離れ、市内にある体育館に避難をしていました。睡眠もそこそこに、翌日も、ずっと体育館で過ごしたことをよく覚えています。ケアに走った10日間でした。「4月1日には、大学に着任したため、途中で抜けてしまったかたちになったことを、今も、少し残念に思っています」と話してくれました。その想いゆえ、後の東日本大震災の折には、臨床心理の先生方と協力して、被災地から福岡へ避難された方々のために、 “安心して、ゆっくり、リラックス”できる心理的支援(心のケア)を提供する場「ほっとひろば 九大」を設立し、避難者のこころのケアに取り組んでいます。
(取材:WEB編集部)

評価を気にするよりも
素直に学ぶ人は、伸びます。

先実務家教員のひとりとして参画した専門職大学院の一期生は、30名。国内初ということあり、関東圏からも入学者がいましたし、教員ももちろん院生も学ぶ意欲に満ちていました。なにより、教育機関を創っていく楽しみがあったそうです。現在は、開校後すでに10年が経過し、すっかり定着をしています。松崎先生は、広島で教鞭をとるのは、初めて。院生に接していて願うことがあります。“ぜひ、素直に学んでほしい”ことです。「近年、院生を含めて若い人に接していると、必要以上に他者の目を気にする人が増えています。外部の評価を気にしているのです」。「外部評価の前にまずは自分自身。自身でしっかりと考えていく力を備えることが重要です。基礎理論をしっかりと修得して土台を強固にするとともに、社会の動き、人の動きなど情報に敏感に。実体験を積み重ねがら、自身のものにしていっていただきたいと願います。素直な人は、伸びます」。
今年は、“福祉臨床心理学”や“人間学的心理学療法”“臨床心理倫理行政法特論”を担当します。
院生は、現場で鍛え上げられた知見を吸収できるチャンス。ぜひ、研究室を訪ねてください。松﨑先生は、従来から取り組んできたNPOの活動、福岡市子ども家庭支援センター「SOS子どもの村」センター長兼臨床心理士としての活動も続けています。

「子どもの村」は、「すべての子どもに愛ある家庭を」をスローガンに、2010年4月、福岡市西区に開村した世界で一番ちいさな村。子どもたちが暮らす5軒の家とそれを支援するセンターハウス、たまごホールがあります。子どもにとって大切な「家庭環境」と「専門的なサポート」「実親との連携」を柱に、地域とともに子どもたちを育てています。関心のある方は、WEBサイトへ。

 

講師 吉川 久史 文化交流論から心理学へ。EMDR、作用メカニズムの解明に取り組む臨床心理士。

社会人を経て、心理学に出会う。

1990年代の終わりから2000年初頭にかけて、国内では、不良債権問題に苦しむ大手金融機関の合併が続き、自動車メーカーの提携が進みました。景気は、少しずつ持ち直してはいたものの、就職氷河期です。その頃、吉川先生は、神戸大学国際文化部を卒業し、一般企業に就職。学生時代は、文化人類学や社会学に関心があり、さらに文化交流論へ。ジャポニスム(ヨーロッパで見られた日本趣味)が印象派に与えた影響をヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品を通じて、読み解く卒論を執筆しています。この時、心理学の知見を手掛かりにしていました。厳しい就職環境でやっと決まったのは、大手流通業。3年間勤務したものの、今一度学ぼうと、大学院へ行くことを決意します。

キャリアへと結びつくものをと探索し、臨床心理士の道を選択。学部での専攻が異なるため、母校の研究生として過ごしましたが、その後の先生の動きを決定づける心理療法との出会いがあり、兵庫教育大学大学院に進学しました。

心理療法、EMDRの作用メカニズムを解明したい。

その心理療法の名は、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理)。EMDRは、1989年にアメリカの臨床心理士フランシーヌ・シャピロによって提唱された心理療法。有効性は欧米で広く認識され、英国、さらには、WHOでもPTSDの治療にEMDRを推奨しています。兵庫教育大学大学院には、EMDR研究の第一人者である市井雅哉教授が臨床実践と研究を行っていました。 

海外では、すでに治療法として臨床現場に普及し、効果については多くの知見があるのですが、その作用メカニズムについてはまだまだ解明の余地を多く残しています。ある日、市井先生から、ある海外の研究グループの学会報告について、お話しがありました。それは、EMDRにおける眼球運動のメカニズムを明らかにしようとするものでした。その話に魅了され、吉川先生は研究者をめざすことになります。博士課程での研究テーマは、「眼球運動が自伝的記憶の想起に与える影響」。2016年、秋、博士号を取得しました。

ミッションは、
トラウマ治療を根付かせること。

吉川先生は、研究活動とほぼ同時並行で、複数の施設での臨床経験を重ねてきました。母校の「発達心理臨床研究センター」や「兵庫県こころのケアセンター」、児童養護施設などいずれも中長期でコミットしています。また、前任地の浜松医科大学では、「浜松にトラウマ治療を根付かせる」ことをミッションとして、自ら臨床を行うとともに、関連病院のスタッフの指導にあたるなど、心理療法の普及とプロフェショナルの教育・育成に従事。3年間をかけて、完遂したといいます。

このようにEMDRをはじめトラウマ関連治療に有効な治療法についての理論知、体験知を豊富に持つ先生ですが、本学では、まず、院生に臨床の基本から徹底して学んでいただきたい希望をお持ちです。臨床で活躍する者は、基本的な心理面接の技術を数多く経験して、患者さんの役に立つために基礎体力をつけることが、なにより肝心。院生に対して、物腰は柔らかく、そして、指導は厳しく。そんな姿を想像しながらインタビューを終えました。
(取材:WEB編集部)

教授 向笠章子 チーム医療の現場、病院臨床を基盤にして、さまざまな問題解決に力を尽くす臨床心理士。

考古学か心理学か。それとも、ダイビングか。選び取ったのは、心理職だった。

中学時代、親友との会話のなかで「心理学」の存在を知り、気になっていた「考古学」を選ぶか迷うものの、日大心理学部を選択。実験心理学のゼミでしたが、学部生時代は、ダイビングに明け暮れて、インストラクター資格を取得したほどでした。 ゼミの教授の紹介で、卒業後、脳波研究のパイオニアといわれる脳生理学者、稲永先生との出会いがあり、久留米大学(福岡県)精神神経科の研究生となりました。附属病院での外来患者さんの面接、心理テスト、そして、研究の補助で脳波の測定を行う日々を過ごして、2年が経過。 「論文を1本書くか、就職するか、決めなさい」。 或る日の教授の言葉が、その後の道を示します。同じ久留米市内にある聖マリア病院に心理職として就職、以来、出産・育児のために3年間ほど間をあけたものの、ほぼ35年間を臨床家として活動してきました。

新生児、ADHDをもつ子ども、不登校、自殺。
問題解決へ向けた役に立つ医療を実践する。

聖マリア病院では、1972年に、国内初の総合病院新生児科が開設され、体重1000g未満で生まれてくる超低出生体重児を積極的に受け入れていました。超低出生体重児たちが後にどう成長していくのか、その知見が国内には乏しかったことから、先生は、医師たちとともに、発達検査やカウンセリングを含めた「検診システム」を開発し、年間30名を超える新生児たちのフォローを続けていきます。

25年ほどして、システム自体はその役目を終え、終了しましたが、手元に残ったデータを活かして、久留米大学心理学研究科に入学。そのとき、すでに、福岡県臨床心理士会の会長職にありながらの進学でした。 聖マリア病院の勤務は、出産後、非常勤でしたが、先生のもとには、さまざまなオファーが届きます。スクールカウンセラー、ADHDをもつ子ども達のための支援を目的とした「くるめサマートリートメントプログラム(くるめSTP)」のための研究、日本版の開発と実践、実践団体としてのNPO法人の立ち上げ、そして、のちに「学校コミュニティへの緊急支援の手引き」(写真)という教育現場で生きる1冊のバイブルとも言えそうな書籍となった緊急支援システムの構築など。実に、多様な現代課題にコミットし、解決へと向かう理論の応用、実践に取り組んでいます。

行動療法の大家、山上先生。恩師のおかげで、一から臨床を鍛えなおす。

先生を支える理論背景は、行動療法。患者さんの必要に応じて、その理論を多用して治療をおこなっています。前述のADHDのある子ども達の治療に利用しているのは、社会学習理論と応用行動分析理論です。 「例えば、強迫神経性障害という病気があります。これは、とても頑固な病気なのね。曝露反応妨害法という治療技法があるんです。それが、わたし、なかなか治せなくて、患者さんに、ほんとに申し訳ない。それで、行動療法の大家の門を叩いたんですよ」。山上敏子先生、その人でした。行動療法の父と言われるジョセフ・ウォルピ(Joseph Wolpe)に直接師事し、日本の行動療法をリーディングしているといっても過言ではない先生です。

向笠先生は、スーパービジョンを受け、数々の気づきを得、後に、博士課程に進み、山上先生の指導を受けることに。「鍛えられましたよ。一から臨床を鍛えられたのだと思います。それまでやってきたことは、なんだったのか、というくらい」。 「しかし、必ずしも、行動療法がすべてではない」と先生は言います。あくまで、チーム医療でもある病院臨床が基盤。治りたいという患者さんがいて、患者さんの主訴にのっとって治療をする、それが、臨床心理士たる人の仕事だと思う」。 豊富な臨床経験に裏打ちされた具体的な話は、尽きません。続きは、ぜひ、研究室へ。おおらかな笑顔で、院生を迎えてくれると思います。ただし、アポイントメントをお忘れなく。
(取材:WEB編集部)

助教 毛利 真弓 ひとりの加害者の回復は、次の加害を防ぎ、社会への波及効果が大きい。

少年たちには、意見書だけで終わらない人生がある。

強制収容所で極限状態に陥る人々の心理を克明に記録した精神科医、ヴィクトール・フランクルによる名著、「夜と霧」。1995年、その写真のすさまじさ、人間心理の複雑さに衝撃を受けた高校1年生の少女が、心理学への興味を抱き、知見を備えて、2016年4月、教員として赴任しています。
毛利先生は、愛知教育大学大学院教育学研究科発達・臨床心理学専修を経て、法務省に入省。5年間、少年鑑別所に勤務し、家庭裁判所の求めに応じて、鑑別対象者の心理テストを行い、意見書を作成する仕事に就いていました。

勤務を始めて、4年目。アメリカのアミティと呼ばれる治療共同体(Amity Community Services)を訪れる機会があり、薬物依存で犯罪を起こした人たちが自ら主体的に回復を目指して、自己を開示し、自身の問題、その背景にあるものをひもといていく姿に触れ、感銘を受けました。鑑別所で、対象者自らが話すのではなく、面接官として、話をさせていた自身に気づいたのです。この体験が引き金となり、罪を犯した少年たちの鑑別を行う中で、審判までではなく、これからを生きる彼らの処遇にもっと関与したいとの思いが膨らんでいきます。

刑務所の内と外をつなぎ、
真に価値ある教育プログラムを開発したい。

日本では、罪を犯した人の持つ思考や行動には、「ゆがみ」があるととらえ、「ゆがみ」を正す教育に重点が置かれています。確かに、再犯率低下に貢献しているケースも多くあります。しかし、一方で、例えば、承認欲求を満たすために、誤った手段として犯罪に手を染めるなど、犯罪に至る遠因を含めてひもといくことで、自身の欲求を満たす他の適切な手段を本人が修得していく教育もまた必要だと考えています。この人間としての回復へのアプローチが、アミティのプログラムにはありました。

2008年、「国民に理解され、支えられる刑務所」を目指す行刑改革の動きの中で、官民協働刑務所、「島根あさひ社会復帰促進センター」が、誕生します。犯罪傾向の進んでいない男子受刑者等、2000名を収容する施設ですが、受刑者の再犯防止を最優先課題とし、さまざまな教育プログラムを実施、展開しています。先生は、法務省を退職し、この刑務所の設置準備段階から職員として関わります。

アミティでの教育プログラムを取り入れるなど、開所当初から受刑者の矯正プログラムの開発や実行にかかわる中で、教育の質に関する疑問が生まれます。刑務所の職員は、出所した人に接触をすることはできません。そのため、刑務所の中だけの教育であり、フォローアップをできません。
先生は、所内だけでなく、出所後の経緯を含めて成果を確認し、真に受刑者の力になる価値ある教育プログラムを実現したいと考え、研究者として生きる道を選択。現在、犯罪心理学、矯正心理分野で、犯罪行動変化のためのプログラム開発・実践に関する研究や治療共同体手法を用いた被害と加害からの回復の研究、犯罪からの離脱に関する研究に取り組んでいます。
先生に、心理学の魅力を問うと、こんな答えが返ってきました。
「助けを求める人を助けるのが、心理学というイメージを持たれると、誤るかもしれません。犯罪に手を染めた人々は、助けを必要と自覚していないケースが通常です。彼らを対象とする矯正心理学は、再犯をすることなく、彼ら自身が、自分の未来を創っていける力を養成する分野です。ひとりの加害者が変わってくれたら、まわりの人も変わり、次の加害者を減らせる。その波及効果を考えたとき、とてもやりがいがあります。ひとりのしあわせではなくて、社会全体のことを視野に入れながら心理学ができる点が、魅力です」。
人を人として見て、その人の可能性に目を向けていく、矯正心理学。院生たちの研究活動にも好影響を与えるであろうお話を聴くことができました。
(取材:WEB編集部)

教授 寺沢 英理子 臨床家は、正直であることの勇気を持つ。

死への想いから病理を知る

1枚の画用紙と刺激図形を用いる“誘発線法”やA5版の用紙、8つの枠から成る“Wartegg-Zeichen-Test”、A4版を使用する“並列型誘発線法”、“8つの枠をクライエントの8つの舞台(表現空間)”としてとらえる“再構成法”。寺沢先生は、芸術療法のさまざまな技法を活かし、クライエントとの出会いの中で、臨床家として、実践と研究とを重ねています。
大学時代は、化学専攻。高校時代、友人を亡くした体験から、卒業後、教師を務めながら、“死”への関心を熟成させていきます。本来、ひとと関わることが好きだったこともあり、心理を探求しようと大学院へ。修了後、新設予定のホスピスに就職が決まっていたところ、計画がとん挫し、就職しないままに失業してしまうという事態に陥ります。偶然にも、新潟大学医学部附属病院精神医学教室の研修生のポストを得、そこから、“病理を知る臨床家”としての歩みを始めています。後に、東京大学医学部附属病院分院神経科に勤務。2つの大学附属病院を経て、2001年、自身で都内にカウンセリングルームを開設しました。その間、学校、産業界などさまざまなフィールドで経験を積み、精神科医、北山修先生のもとで、博士論文に取り組んでいます。2005年から大学教員としての活動も開始。広国には、この4月に着任したばかりです。

絵画と言語、複数の表現を“心理療法”として活用していく

臨床心理学の様々なアプローチのなかで、言語療法と絵画表現を中心とする療法とが、別々の発展を遂げてきました。しかし、先生は、臨床の場で出会う クライエントに対して、言語と非言語を区別するのではなく、その時々に応じて柔軟に使いこなしていきます。はたして、言語と絵画、2つの橋は、有効な療法としてひとつの橋になりうるのか。それぞれを構成する技法、その限界と効用は?そもそも、二分法で療法をとらえることにセラピーの効用は、見いだせるのか?これらの問いを、寺沢先生は、“橋渡し機能”(※) を手がかりに、丹念に追い、検証し、再考し続けています。
表現するということは、同時に表現できなかったものを葬るということでもあり、私たちはいつも伝えきれないもどかしさを抱えて生きています。セラピーでは、言語、非言語ともに、表現するということに苦悩するクライエントが多い現実があります。自身の経験と重ね、その問いへの探求を「引き裂かれるような苦悩」と、先生は、著書のなかで表現しています。
※内外を繋げると同時に内外を分離すること(北山,1993)

特別な街、広島

屯田兵だった曽祖父の血が流れているのでしょうか。「フロンティアですね。なにかをしょって、新しい地で芽吹く、という気持ちが強い」と、先生は言います。さまざまな地で臨床家として活動し、広島に赴任して、1か月。院生との対話には、原爆、そして、死と再生の話題が数多くありました。高校時代から先生自身をとらえて離さないテーマです。「この人たちと学んでいこう」と、先生は、改めて気持ちを強くしています。
最後に、臨床家をめざす人へのメッセージをいただきました。
「ひとつは、正直であること。嘘は、必ず見抜かれるから、正直であることの勇気を身につけてほしい。そして、もうひとつは、臨床家になるならぜひ精神科病院での実務を経験し、病理がわかったうえで、臨床を積んでほしい。自身の体験を振り返っても、この経験がとても重要で良いものだったととらえています」。
メッセージ通り、正直で、真摯で、深く包み込むような空気を持つ魅力的な臨床家です。研究室の扉を開く人々が先生との出会いによって、新たなチャレンジの機会を得ることをイメージしながら、インタビューを終えました。(取材:WEB編集部)

准教授 岡野泰子 視点、水準そして、方法。多様な心理療法の意味を追求するひと。

子育て経験から路を拓く

自身の体験のなかから、臨床心理士としての路を定めた教員がいます。岡野准教授は、心理学部を卒業後、就職、結婚を経て、出産。育児サークルを運営したことを機に、職業として人々を支援したいと考え、大学院の扉を開きました。修了後、院生時代に出会った精神科医からのオファーがあり、精神科クリニックで臨床を始めています。以来、自分の軸足を医療領域の臨床活動におき、さらに大学学生相談のオファーにも応えています。

キーワードは医療領域の心理療法

いうまでもなく、心理療法には複数の理論体系があり、様々な療法があります。岡野准教授は、その中の一つ、「精神分析的心理療法」で臨床をする傍ら、その「意味」を追究しています。アセスメントの領域への関心も強く、方法論、他の療法との差異、その意義や成果について、複数の学会に参加。自らも学習会を主催して、近隣とのネットワークも大切にしています。現在は、「臨床心理士の専門性と役割」についても調査・研究中。いまや日本でも、趨勢となりつつある<チーム医療>において、臨床心理士が果たすべき役割を明確にしていくことは、まさに今の臨床心理士に求められているところです。

臨床心理士として、扉を開いていく

先生の大学院修了後の臨床経験は数知れません。経験を経て見えてきたことを尋ねると、以下のような答えが返ってきました。「臨床心理士として、一人の人間として、暗中模索の時や明るく陽射しが照るような時を行き来するなかで、自分自身の探求とともに、新しい扉が一つずつ見えてくる感じです。『心の支援』には、多様な視点と水準、そして、方法があります。一つが見えて辿りつけたと思ったら、また次があるというように、奥の深く興味深い旅をしている感じです。そして、それを支えてくれているのは、師であり友や家族・同僚であり、そして来談者の方との多くの出会いだなと思います」。自ら定めた臨床心理士という名の大地に根を張って、専門職として生きることを大切にする岡野先生との出会いもまた、何かをもたらしてくれると確信しています。
(取材:WEB編集部)

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