2012年03月10日
「映画製作でつながる」
「はい、カット!」
クラブ棟二階、茶道部部室の和室に、監督を務める藤野真行先輩(臨床心理学科3年)の声が響く。
シーン3テイク4、テストフィルムの撮影を終えてのことであった。
それから藤野先輩は、講師の柳島克己先生(撮影監督)、弦巻裕先生(録音技師)、
及びカメラの前で熱演を披露してくれた宮嶋千咲さん(薬学科4年)、
宮本明果さん(薬学科4年)とともに意見を交わしあっていった。
そのときの白熱とした様子を、筆者は録音機器のヘッドフォン越しに感じ取ることができた。
役者の立ち位置、カメラの動かし方、マイクの動かし方、等の大まかな点、
細かな点に注意と工夫が入っていく。
ひとつのシーンをより良いものにしていくために、
誰もが真剣に撮影に対して向き合うのだった。
特に柳島先生は役者の二人に「どういう風に見せていくか」「監督の要望を自分の中でどう構成していくか」
といったことを熱心に説かれていた。
「座頭市」「GO」で日本アカデミー賞最優秀撮影賞受賞の凄みを垣間見たような気がした。
柳島克己先生
このシーンはテストを含め、テイク数を8回重ねることとなった。
平成24年2月26日(土)の講師の先生による技術指導及び、
2月27日(日)の撮影当日を迎えるにあたって、
柳島先生、弦巻先生は同様の不安を抱かれていたという。
広島国際大学映画製作ワークショップに参加したメンバーの能力が未知数ということだった。
「専門学校ではないのでどのくらいのことが教えられるかと思った」と弦巻先生は語って下さった。
「だが皆、短い時間の中でやるべきことをやっていた。積極的だった」と、
映画撮影を通してスタッフの連携が強くなっていったことを評価されていた。
弦巻裕先生
前途は多難だった。
2月22日の水曜日には岡林修平先生(プロデューサー)、山田耕大先生(脚本家)、
といった映画やテレビの第一線で活躍されているプロフェッショナルの方々をお招きして、
今回の映画の脚本を皆で形作っていくこととなったが、
議論は紛糾、軌道修正につぐ軌道修正の末に、講師の先生方の貴重な意見もあったものの、
結局その日の終わりに物語のセンターラインが決まるのみにとどまった。
事前の打ち合わせ不足が悔やまれる一日であった。
その後、両先生のフェイスブックを通しての助言、指摘などもあり、
「幸福論」と名のついた脚本が完成を見ることとなった。
「役者になるとは思わなかった」「脚本が変わってびっくりした」と当時を振り返り、
役者を努めることとなったことに関して、宮嶋さんと宮本さんはそう語った。
しかし撮影現場の空気に触れていくうちに
「さおり像(映画の中の登場人物)を監督と自分のイメージに近づけていく」よう宮本さんは奮起し、
撮影後半には涙を流す演技をこなすまでに至った。
宮嶋さんもまた演じていくうちに役が憑依していくように見えた。
左から宮嶋千咲さん、宮本明果さん
それほどまでに現場の空気は物凄かった。
顧問の先生の一人である谷村仰仕先生は「短い間に急成長を遂げた」と評するほど、
撮影を重ねるにつれ現場の連携に磨きがかかっていった。
与えられた役職にメンバーは嬉々として主体的に、貢献的に動き回り、
そこから発する熱を推進力に怒涛の勢いでひとつの作品に向かっていた。
流れが時に滞ることもあったが、カメラの位置を変えるなどの工夫や講師の先生の指示を仰いだりして、
乗り切っていくこともあった。
艱難辛苦も共有できていたのだ。
クランクアップの際には自然と拍手が沸き起こった。
筆者自身もその時はやりがいを感じていた。
諸事情や手際の悪さから、企画がなかなか進まなかったもどかしさも吹き飛ばせたようで、
かなりすっきりできた。
メンバーも同様に満足できたらしく、安堵の表情、胸のつかえがとれた表情など、
様々な表情を見て取ることができた。
企画当日までのキャンパス間の意思疎通や連携がうまくいっていなかったなど、
節々で問題が発生し、それらが今後に向けての課題となるものもあったが、
プロフェッショナルの先生方からご指導を頂く機会を得ることができたり、
なにより大勢の人々と目標に向かって邁進できたりなど、
めったにできない体験をさせてもらえたので、
これらはのちのちに糧になることがたくさんあったように感じている。
最後に、講師の先生で毎日コンクール録音賞、日本映画・テレビ録音教会録音賞などの受賞経験がある、
弦巻先生に映画と人との関わりについての言葉を紹介して、結びにしたい。
「映画には、どんな人にもその人に向いている職種があり、それに出会う可能性がある。
多彩な人が集まり、その人その人に向いていることが必ずある」
取材中の筆者
【取材・執筆】保健医療学部 総合リハビリテーション学科 1年 高橋 克知
【写真撮影】工学部 情報通信学科 3年 郷原 肇