2013年08月02日

大学と地域の連携で平和を考える~幟町ギャラリー~

7月16日(火)に広島国際大学広島キャンパスにて、幟町ギャラリーのオープニングセレモニーが開催されました。

幟町ギャラリーは地域交流を目的として開設され、今後は学生や地域の方々の作品を展示する場として活用する予定です。
今回、開設を記念して開かれたオープニングセレモニーの様子と、
開設特別展示「炎える曼珠沙華」を取材してきました!

オープニングセレモニーでは、第一回目の特別展示の出展をされた
上幟町北町内会長の岡部喜久雄氏や本学の秋山学長がお話をされました。
岡部氏は、セレモニーに出席された地域の方々をはじめ、本学の学生や教職員に向けて、
「この幟町ギャラリーが、地域住民と広島国際大学との交流や活動の場となり、
そして広島の歴史を伝えていくための拠点となることを願う。
今回の特別展示は、決して風化させてはいけない広島のことを多くの方々に知っていただくために企画した」
と話されていました。

 

開設特別展示「炎える曼珠沙華」は、広島に原爆が投下された当時から現在の復興に至るまでの道のりを伝えます。
被爆体験者によって描かれた原爆の絵、原爆投下当時の写真、復興した現在の様子を描いた絵や写真、
また、原爆の絵が描かれた場所を、証言ビデオをもとにして検証し地図に表記したものなどが、
詳細な解説付きで展示されていました。

 

ギャラリーに訪れていた被爆当時の様子を知る女性は、
「写真や絵を眺めていると、当時のことを思い出して涙が出る。
街は燃え、家も学校も何もかも破壊され、親族や友達をはじめとした沢山の人々が死に、まさに地獄絵図だった。
ただ、そんな中でも戦後は復興に向けて皆で力を合わせて頑張った。
戦後初めて開催されたお祭りに参加して、とても楽しかったのがいい思い出」と、
当時の様子やご自身の経験を語って下さいました。
また、「辛い思い出も多いけど、若い人々にこの記憶を伝えていきたい」ともおっしゃっていました。

今回の展示を企画された岡部氏は被爆二世であり、母から被爆時の様子を聞いて育ったとのことで、
当時の様子を若い人達に伝えていきたいという思いで、幟町地区の被爆当時の様子を調査してきました。

岡部氏に、今回の特別展示への思いについてお聞きしたところ、次のような答えが返ってきました。

「被爆の痕跡を残した建物は、いずれ風化していってしまう。
それは時の流れなので、仕方のないこと。
しかし、こうして当時の様子を語り継いでいくことで、
我々人間の心の中から原爆の記憶を風化させないように持続させていくことが大切だと思う。
また、若い人々にはぜひ、自分のおじいさん、おばあさんの話を聞いて欲しい。
昔の人は、今回の被爆の体験などを例に、今よりも遥かに波乱万丈な人生を送ってきた人が多い。
そんな人々の話を聞いて、自分が今ここにこうして存在している意味を考えて欲しい。
そして、自分自身の未来に希望を持つためのきっかけにして欲しい」

 

私達にとっては現在、自分達の生きる平和で平穏な日々が当たり前のものになっています。
ですが、原爆が投下された当時はそうではありませんでした。
戦争によって大切な人々を失い、飢餓に苦しみました。
しかし、それでも人々は生きる意志、未来への希望を失いませんでした。
その結果、今の復興した広島の町があり、私達が存在するのです。

今、私達が享受している平和は、戦争の時代を生き抜いた多くの犠牲者や人々の努力の結果なのだということ。
今回の取材を通して、それを強く実感させられました。

今回の特別展示「炎える曼珠沙華」は8月25日(日)まで開催されます。
皆さんもぜひ足を運び、平和の大切さについて考えるきっかけにしてみませんか。

広島国際大学 企画課